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第参話:似て異なるモノ 風もない、静かな夜だった。 真っ暗な闇の中、床がギシリと軋む音がする。 老朽化などではない、これは人が歩いたときの独特の軋み方だ。 ―こんな真夜中に一体……厠か、または脱走者か。 は閉じていた目を開け、障子の方を見た。 ……明かりはない。 ということはつまり、間者が侵入したか脱走者。 どちらにせよ、放って置くわけにもいかないので、 隣りの嵐士を起こさぬように布団を抜けだす。 寝間着のままではと羽織を引っ掛け、腰には大小を持つと、 音のする方へと歩みを進めた。 しばらくすると、人の声と刀のぶつかる音が聞こた。 その主は誰かと急いで見ると、そこには入隊したばかりの神谷と沖田がいた。 と、次の瞬間沖田が何かを言うと、 刀を振り下ろしたと同時に神谷の着物の前が切れ、 胸の微かな膨らみと火傷と思われる傷跡が見えた。 …は元々が女なため、胸など大した気にもならないが、 沖田は少々顔を赤くし、神谷も恥ずかしさから顔を赤くしていた。 ―しかし、神谷が女であるのは一目瞭然である。 いくら色事に疎い沖田でも、その目で見てしまったからには、 気付かないわけがない。 「まいったな…女ですか、あなたは―」 偶然居合わせてしまったとはいえ、 ―これは重大なことを知ってしまったな…… とはこっそり溜め息をついた。 ……見逃してもいいが、あの二人だけでは今後どうなるかはわからない。 ―もし居残ることになれば……同じ女としてあの男、沖田総司だけに 任せておくのは忍びない。 とりあえず二人の会話の聞こえる所まで行き、 耳を澄ましてことの成り行きを聞くことにした。 ―……それにしても、だ。 いつも冷静な沖田がの気配に気付かないほどに動揺していたことは、 だいぶ後になってわかることである。 しばらく経った後、ようやく話の腰が折れた。 沖田は彼女……いや、彼がここに残ることを認めたようだ。 も微かだが自然と表情が柔らかくなる。 ―もうそろそろ出ていかないと、そのまま行ってしまいそうだな。 と、そこに歩み寄っていくと、沖田と神谷もようやく気付いたのか、 こちらに振り向き『マズい…』という顔をした。 沖田が慌てて正面に来て… 「さん!こんな夜分遅くにどうしたんです?厠なら反対ですよ?」 その言葉の端々にこの場をどうにかしなければ、という焦りが伝わって来た。 「いえ、厠ではありません。 ―先程、廊下が軋む音がしたのですが、明かりをつけていないようなので、 様子を見にきたんですよ。」 その言葉に、神谷がギクリと反応する。 「まぁ……その当人はもうこの世の人ではないんでしょうが」 そして少々間を置くと、は神谷を真っ直ぐに見た。 「神谷さん、あなたは女子だったのですね……」 ―あっちゃー……といった声を上げ沖田は頭を押さえ、 神谷は何かを堪えるかのように目を逸らした。 「……さん、これにはわけが……」 沖田が何かを言いかけようとしたが神谷がそれを制し、口を開いた。 「…確かに私は女です。 家に攘夷の輩が押入り火を放った際に、父と兄は殺されました。 それに偽りはありませんが、そのときに沖田先生が助けて下さったんです。 ですからこの浪士組に、と……思い立った次第です。」 そう言う彼女の拳は堅く握られていた。 は神谷を真っ直ぐに見つめたままポツリと呟くように言った。 ―何の因果か…… 「…さん?」 沖田が心配したような表情でこちらを見た。 「……事情はわかりました。 沖田先生は『彼』がここにいることを許可なさったのでしょう? ならば私は、それに従うまでです。 先生だけでは大変心許無いですから、 何かお困りのことがありましたら私に相談して下さい。」 先程の真剣な表情とは一変、満面の笑みで答えた。 それには沖田もほっとした様に表情を崩し、神谷は肩の力が抜けたのか 地面に座り込んでしまった。 「……大丈夫ですか神谷さん?」 が側に駆け寄ると、照れくさそうに神谷は「はい…」と言った。 沖田も小さく笑うと神谷を立たせ、に礼を言った。 「ありがとうございます、さん。」 「礼には及びません沖田先生。半分は私個人の意志ですから。 ……神谷さんを見ていたら、少々昔を思い出してしまいまして」 の言った言葉に沖田は何かを悟ったようだが、 はまた顔に笑みを浮かべると、星の浮かぶ空を見上げた。 「さぁ、夜も遅いですし早く寝ましょう。 神谷さん、着替えるのなら沖田先生の部屋をお借りするといいですよ?」 少し含んだ笑顔で沖田を振り替えれば、沖田は ―そうですね。と苦笑気味に返した。 「今、先生と同室の斉藤先生は不在なんです。 だからしばらく着替える際は沖田先生のお部屋を使うといいですよ。 遠慮することはない……ですよね?沖田先生。」 この際だ、とは斉藤不在を有効利用することにした。 沖田もしっかりしてますねぇと、苦笑いのままで、 神谷はどうしたものかとキョロキョロしている。 「さぁ行きましょうか、こっちですよ。」 まるで今日の鬱憤を晴らすかのように進んでいくに、 沖田も待ってくださいよー、と後を追いかけた。 ―が女であることを知っているのは斉藤と同室の時枝嵐士のみ。 ……土方も感づいているような節はあるが、あえて直接聞いては来ない。 ―もしかしたら、嵐士から知らされているのかもしれない。 しかし、それをが確認する術はない。 あの土方を相手にするのは骨が折れるのだ。 一歩間違えば、自分で自分の首を絞めることになる。 何よりも、入隊時に斉藤とかわした約束があるのだ。 ―もし女であることを利用するときがきたら、進んで身を捧げる……と。 それは、隊士としていられなくなった場合の保険でもある。 土方には潜入の際には女装で手を貸す、ということで話を通してあり、 監察方の山崎とも何度か顔合わせをしていた。 ……今の所はそのようなことはなく、一隊士としての任務にあたっているが。 いつ呼び出されるかはわからない。 ―私、らしくもない…。 廊下に座り込んだままの態勢では空を見上げた。 先程神谷達と別れた後、いろんなことが頭に浮かび、眠る気になれなかったのだ。 「何故今頃……」 ポツリと呟いたに、突然後ろから返事が返ってきた。 「『神谷』とやらが昔のに似ているからだろう?」 そう言って月明りの下に出て来たのは、同室で同じく補佐役の嵐士だった。 「……ごめん、起こした?」 「いや、私も起きていた。 気付いてはいたけどが動いてくれたからね。 人数も少数のようだったから、あえて寝ている振りをさせてもらったよ。」 さらりとそう述べる彼には溜め息をついた。 「……そう、結局私も無駄足だったよ。先に沖田先生が片付けた後でね。 そこに神谷さんもいて―」 続きを言いかけるが、その先の出来事を思い出しさっと口をつぐんだ。 「……新入隊士がいて、それで?」 その先を聞こうとする嵐士には首を横に振り、 ―会っただけだ。と答えた。 「……寝ぼけて厠へ行く道を間違えた所、 沖田先生に会って少々話をしていたらしいんですよ。 そこに丁度居合わせて……もしかすると、 明日の笑いの種になっているかもしれませんね。」 ―笑えるでしょう? そう聞き返すだが、その顔はどこか寂しげで、嵐士は表情を曇らせた。 「……言いたいことはそれだけか、?」 声色にいつもよりか真剣味が増し、嵐士はを見据える。 「……『昔のこと』は、確かに詳しくは知らないよ。 ただ、今のと昔のを比べて、過去を後悔するのは時間の無駄だ。 『前を見て歩け』それだけ、言っておく。」 簡潔にそう述べると、嵐士はまた部屋の奥へと戻っていった。 ―昔を後悔することはたやすい……か。 頭ではわかっていても、それを行動に移すまでが更に難しい。 …それが人間だ。 ―長い夜だな……。 ポツリ、と呟くと縁側から立ち上り、 も部屋へと足を向けた。 ―そう、もうあの頃の、何も知らなかった子供ではないのだから…… Back Menu Next |