いくつもの 言の葉を 悪戯に 散らかした
断ちゆく 迷いは 静かに 消えたの 明日が 見えてる?
第七夜:情
「―……姉上?」
上田城への帰路の途中。ふと、幸村が顔を上げた。
「急にどうしたの?旦那」
そんな幸村の様子に気付いた佐助が不思議そうに問い掛けた。
「いや、今……姉上の声がしたような……」
その言葉に佐助は一瞬顔を曇らせたが、すぐにいつもの笑顔へと表情を戻した。
「まったまたー!旦那もいい加減姉離れしないとねぇ?
姫さんもいつかは嫁いじゃうわけだしさぁ?」
「なっ、なにを言っておるか佐助!?そっ某は!ただ姉上の心配をだなっ……!!」
「はいはい。旦那は昔っから姉上大好きーだもんね?」
佐助は半ばからかうようにニヤリと笑った。
「はっ、破廉恥であるぞー!!」
顔を真っ赤に染め上げるその姿は、先ほどまで、鬼のような形相で戦場を駆けていた人物とは
到底結び付かないだろう、とても可愛いらしく微笑ましい姿だった。
「はっはっは!幸村は相変わらず元気よのぉ!」
「お、お館様……!!」
そこへさらに、幸村の様子を見に来たのだろう信玄が会話へ加わった。
「まだまだ元気が有り余っているようじゃな、うん?」
「うっ……うぉぉぉお館様ぁぁー!!!!」
「幸村ぁぁぁぁ!!!!」
きっかけが何にせよ、結局いつもの繰り返しである。
「……姫さん、早く帰って来てくんないかなぁ」
ポツリと溜め息混じりに呟かれた佐助の言葉は、誰にも届くこと無く二人の声に書き消された。
―しかし、事態は一辺する……
「なっ…!!姉上が……!?」
驚きのあまり、幸村が声を上げた。
「そ、んな……」
―信じられない。その一言に尽きた。
しかし報告をする佐助の沈痛な様子が、それは恐過ぎるほどに現実味を帯びていた。
幸村の顔色からは徐々に血の気が引いていく。
上座に座る信玄も、神妙な面持ちでその話に耳を傾けていた。
「―……奥州を見張ってた忍びからの報告です。
上杉のところからも、こちらへ向けて使者が出された模様。
直に到着するでしょうから、詳しいことはそちらから聞いた方が確実です。
しかし、ほぼ間違いなく姫さんは……」
「……」
信玄は静かに息を吐いた。
「……どうします?」
「―あ奴も覚悟はしておっただろう。武田軍としては、表立った行動は起こさぬ……」
「っ!?お館様!!しかし、それでは……!!」
「幸村!同じ血を分かつ主が、あ奴の武将としての誇りを侮辱する気かっ!!」
「も、申し訳ありませぬ……」
―『武将』そのことは幸村にとって『誇り』であった。
ある種、自分を戒める文言でもあった。
しかし今は、その言葉が何よりも重く感じられてならなかった。
「……あ奴、にとっては酷な事を言うようだが、今は……そう、今この時だけは、
生きてさえいてくれれば、それだけでよいのだ。それだけで、幸いよ……」
「お館様……」
固くその目を閉ざした信玄を、幸村は黙って見つめていた。
同じくその場に止どまっていた佐助も、表情にこそ出さないものの、
苦々しい思いを抱かずにはいられなかった。
いつも絶えず賑やかであった空間に、小さな沈黙が降り立った。
―ここはどこ?
視界が遮られているのか、はたまた明かりがないだけなのか、
の目は暗闇に支配されていた。
―伊達政宗と戦ったことは覚えている。
ただ、そのあとのことは全くと言っていいほど覚えていない。
―死んだのでしょうか……?
ふとそんな考えが脳裏を過ぎった。
「……自業自得、ですね。」
は一人、苦笑した。
はじめから勝てるなどとは露程にも思ってなどいなかったけれど、
それでも戦わなければならなかった。
―誰のためでも無く自分のために。
信玄の命を口実にし、幸村の姉であることさえも利用した。
―そう、私は誰よりも浅ましい人間だった。
実際、は幸村ほど信玄に忠誠を誓っていたわけではなかった。
―ただ、自分が戦いたかっただけ。
いや、正確には嫁になど行くくらいなら戦に出た方がマシだと思っていたから。
―何故好きでもない男に抱かれなければいけない?
それは絶対的な嫌悪感と見知らぬ男へ対する恐怖。
どうしても幸せそうな自分の姿というものが想像出来なかった。
ドス黒い血の海に立ち、その身を汚している方が何倍も安心できた。
―私の中で、愉快とばかりに阿修羅が笑う。
―あぁ、きっと、私は狂っているのでしょう。
しかし、今はもはや、それをどうすることもできない。
すでに行き遅れとはいえ、真田は名家。
いつかは他家へ嫁がなくてはならない時が絶対にやってくる。
―日々、強くなっていく幸村の側で、自分の限界を感じていた。
そんな矢先の、あの出来事。
……あの男にならば、とは思った。
―多分、私を私として殺してくれるヒト。
ふと、幼い頃、初めて信玄に会ったときを思い出した。
何を隠そう、の初恋は父ではなく武田信玄、その人だった。
歳が離れていたせいか、いつの間にかその想いは雲散霧消してしまったけれど。
―きっと私はあの時、魅入られてしまったのでしょう。
―お館様の時と同じように、伊達政宗の中に住まう『鬼』
叶うことなどない、煩わしいモノでしかないのに。
しかし間違いなく、二度目の恋に落ちた瞬間だった。
だからあの戦いがの、武人として戦った最後の戦いならば、
とても良い最後だったと、改めて思えた。
―自己満足だけれど、好ましく思えた相手の手で死ねる。
思えばまともに話したことなど、皆無に等しかったのだが。
―それも私らしくていいでしょう?
戦場に出るようになってから幾年月。
初めて、全力で戦えたような気がしたのだから。
悔いが無いわけではないが、きっと、心安らかに逝ける。
―あの子は……幸村は泣くでしょうか?
いつまで経っても甘ったれで、姉離れのできない子。
佐助がいるから心配はありませんが、迷惑をかけますね。
―本当に、佐助の言った通りになりました。
しかもよりにもよって、敵国の総大将。笑えない冗談ですよね、まったく……
私も佐助のこと、馬鹿に出来ない大馬鹿者ですね。
―……お館様、腑甲斐ない家臣で本当に申し訳ありません。
最後まで見届けることができず残念でなりませんが、
どうか上洛の念願、果たして下さいませ。
いろいろな人物の顔が浮かんでは消えていく。
これが死ぬ際にみるという、走馬灯というものなのだろうか。
はそっと、小さく微笑んだ。
するとそこへ、一筋の光がの元へと差し込んだ。
―伊達…政宗……?
それは夢か幻か。
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