ACT69:喪失の代償





 「――光界玉!!」



虚空がその魔導具の名を口にした。

はじめて聞く名にも耳をそばだてる。



「数多の魔導具の中でも珍品中の珍品でな。

 その昔、火影の民も誰一人として使い手になろうとする者は現れんかった。最悪の魔導具じゃ!!」



―誰一人として……

その言葉の重さに不安が募る。

魔導具の強さに魅せられた者は、更なる強さを求め強い魔導具を手にしたがる。

火竜の力、火影の象徴とも言うべき頭首の炎を消すほどのものならば、自ずと手を出す者もいたはずだ。

しかし、それでも使い手になる者がいなかったということは――

曰くつきの代物、ということだろう。



「よく……そんな魔導具を使う気になったもんじゃよ、若いの!

 ……よく正気を保っていられる――いや、違うな!納得したワイ。お主の体は――」


「やめてよ!!……やめて!」



何かを言いかけた虚空だが、それを遮るように鬼凜が声を上げた。

この会話から察するに、身体に何らかの影響を及ぼす魔導具なのだろう。

しかも“正気を保っている”ことを疑うほどの何かを秘めた。



「やはりな……」



鬼凜の反応に確信を持った様子で頷いた虚空。

一方、何が何だかさっぱり把握できない烈火が問いただす。



「おいジジイ!! 何一人で納得してんだよ!どんなふうに珍品なんだ、ありゃ?」



烈火の言い分は尤もだ。

会話の件からもわかる通り、危険を察知した虚空は忠告のために出てきたはずなのだ。

ならば説明するのも当然の義務である。



「うむ――光界玉……ある意味こいつ程“術者の真価”が問われるモノもない。

 影を生み出す影界玉と対なる魔導具でな。この世の万物全てを消し去ることができる」


「全てを――消す?」



抽象的な物言いに、一同は首を傾げた。

一言に“消す”と言っても、本当に消す対象に限りはないものなのか疑問を抱かずにはいられない。

消えるはずのないモノが突如消えるのだから――



「ケーキとかお人形も?」


「そうじゃ」


「ビルも山も!?」


「そうじゃ」



肯定する虚空にも疑問に思ったことを聞こうとするが……



「柳のオッパイも?」


「それは消す程ないじゃろ!!」



耳に飛び込んできたやり取りには額を抑えた。

聞いた土門も土門だが、返答した虚空も酷い。



「少しはあるモン……」



目を潤ませ呟く柳に罪はない。

そして柳の胸を触ったことに関しては、も見逃せなかった。

聞いた張本人である土門を背後から不意打ちで蹴り倒すと、

同じく怒り心頭の烈火に満面の笑みで引き渡した。



「……あとはお主の脳みそとかな」



タコ殴りにされる土門に自業自得とばかりにつけ足す虚空。

相変わらず火影において、緊張感は長く続かないらしい。

どこかすっきりした様子のに、小金井が少し前の出来事を思い出して

表情を引き攣らせていたのは蛇足である。



「虚空『消す』とは?正直、ハッキリとつかめないのだが」



マイペースな水鏡が疑問を口にした。

消失と言っても、魔元紗の時のように目の前から消えるだけの可能性も否めないからだ。



「漠然と消すのじゃよ!紙に描いた絵を消しゴムで消すように、この世の存在を無くしてしまう!!

 物を砕き破壊する事でも、人を殺め魂を抜く事でもない。

 魔元紗のように異世界に飛ばすのとも異なる!消滅なのじゃ……」



つまり、光界玉によって消されたモノは二度と戻ってはこないということだ。

ゼロから生み出すことは不可能。それが道理というものだ。



「おいおいおい!! 冗談じゃねえぞ!! いくらなんでもやべえだろそりゃ!!?」



危険性を理解した土門が血相を変えて叫んだ。

を含めた一同の顔色も心なしか青ざめている。

烈火に攻撃を仕掛ける螺閃を呆然と見ていることしかできない。



「炎の刃を消された!!」



その間にも烈火が出していた砕羽の炎の刃が光界玉によって消された。

慌てて飛びのくものの、精神的疲労は増すばかり。



「反則に近えぜ!! なんちゅう魔導具だ!!」


「……虚空。全てを消す、と言ったな?…… 八竜も消せるのか?」



炎の刃が消えてしまったことに危機感を覚えた水鏡が、言葉を選びながらも率直に尋ねた。



「……形無き物とて例外の範疇には入らぬ。

 記憶でも、病魔でも打ち消す力を持つはずじゃ!結論!八竜も消せる!!」



言い切った虚空にも言葉を無くした。

認識できるものすべてがその対象となると、もはや近づくことさえできない。



「無敵だぁあああ!!」



―しかし本当に、そうなのだろうか?

は己の左手にある鉄鋼線舞を無意識に見下ろしていた。



「螺閃は消さないよ。八竜も、烈火くん自身もね」


「ほう!! フェアなあんちくしょうなんだな?」


「『違う』」



返ってきたのは否定。



「……う……それ、言っていいのね、螺閃?わかった……」



今まで特に疑問を口にすることもなく、螺閃の言葉を伝えていた鬼凜がはじめて躊躇して見せた。



「『彼を消す事に躊躇はない。ただ、原因があるのさ』」



元十神衆の一人で、しかも利害の一致からあっさり森についたくらいだ。

殺すことに躊躇はないだろう。それはにもわかった。

―しかし原因とは……?



「『光界玉の本当の恐ろしさはそれだけじゃない。

  何かを消したあとに起こる反作用こそ真の恐怖。

  “消すたびに己の大切なものも消えるのさ。

  僕はそうして声を、感情を……そして―― 母を消してしまった』」



“反作用”強大な力を手に入れるからこそ起こるリスク。

その対象が『己の大切なもの』とは、あまりに残酷だ。

―そして失ったものの中には……

目を逸らすようにそっと目を伏せた。



「『僕の顔を見てくれないか?さっき烈火に斬られたキズ。

  あれほどのキズの血がもう止まっている。これは止血じゃない。

  崩と砕羽の炎を消した代償に、血を多少消されたんだ。

  消す物の価値に比例して……僕もそれ相応の物を奪われていく。究極の――両刃の剣なんだよ』」



“両刃の剣”まさしくその通りだ。その言葉を否定することはない。

―けれど……



「……なんでだよ……なんでだ、螺閃!?

 自分の母ちゃん消しちまったんだろ!? 悲しくねえのかよ!!」



響いたのは烈火の悲痛な声。



「『……感情も消えている……』」


「憎くねえのかよ!! その魔導具は、おまえの母ちゃんも、心も消しやがったんだぞ!!」


「『呪いを吐く声も消えている』」


「なんでだ……なんで!! なんでそんなモンまだ持ってやがる!!」



――それは呪い

魔導具の、火影の“業”

烈火の気持ちは痛いほどわかる。

けれど一方で、手放せない螺閃の気持ちもには何となくだがわかる気がした。



「立てよ」



螺閃を殴り飛ばした烈火が、凍えるような冷たい声で、

けれどやるせない怒りを露にした視線を宿し、その姿を見下ろす。



「オイ……戦況が変わったな。さっきまでの“ヤベエ”って感じはねえ。

 むしろ“勝てる”ペースだ」


「うん……烈火くん、怒ってる」



土門が気づいたことを口にすると、柳も同意を示した。



「何かを消す事の見返りとして何かを失う魔導具……」


「自分の母も消してしまった、と言ったな。それでも奴はその魔導具を使い続けている」



小金井は寂しげな表情を浮かべてひっそりと呟き、水鏡は複雑そうな顔で螺閃を見つめた。



「正気とは思えねえ……」



理解できないと首を横に振る土門に、はぽつりと言った。



「私は、少しだけわかる気がする……よ」


「お、おい、?」



驚いて土門が声をかけるも、押し黙ってしまった



―この手で殺してしまったわけではないけれど……

を庇ったせいで死んでしまった両親。

この魔導具を扱えてしまったからこそ出た犠牲の数々。

兄・雷覇に負わせた心の傷。

償っても償いきれない罪は、この鉄鋼線舞とともにある。



―捨ててしまえればどんなに楽だろう。



けれど捨てられない。



―大切なモノを……忘れないために。



いつか救われる日を夢見ながら。
















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