ACT63:逆鱗
――15分後
「気合いでとべっ!!」
「「…………」」
風子の出した結論は精神論だった。
水鏡が譲らない以上、他に打開策はないのも事実。しかも小柄とはいえ小金井も中学生だ。
が抱えるにしても重いことに変わりはなく、落としてしまう可能性がないわけではなかった。
「身のこなしのスルドイあんたなら大丈夫!! 水に落ちなきゃいいのよ!!」
無事に渡れる根拠は、全くの的外れというわけでもない。
むしろが落としてしまう可能性と天秤にかけると、体幹が良い分、
小金井自身で跳んだ方が安全と言えるだろう。
水鏡との二人はすでに様子を見守る態勢に入っていた。
「がんばって。溺れたら人口呼吸してやるから」
「……いらない。オレ、土門兄ちゃんに殺されたくないし」
いつになく慈愛に満ちた表情で微笑んだ風子に、小金井ははにかんで答えた。
「もし薫くんが足を滑らせても、その時は私が後ろから抱えて跳ぶから安心してね」
「で、できるかぎりお世話になんないように頑張るよ!」
助け舟を出すつもりで言ったの一言に対して、小金井は不自然に視線を泳がせた。
対岸に丁度良い高さの岩などがあれば、命綱代わりに鉄鋼線舞を張ることもできたのだが、
残念ながらそれに適したものが何一つなかった。
他に何かないかと、は風子たちの背後へ意識を向け、それとほぼ同時に小金井は跳んだ。
「てや!!」
「――っ、待って!!」
微かな気配に気づいたが、慌てて声を上げるが遅かった。
「「「!?」」」
岩に着地しようとした小金井の足にナイフが突き刺さる。
小金井を助けるために跳躍しようとしたを足止めするように、
足元を狙ったいナイフが擦り抜けていく。
回避するためにほんの一瞬踏み止まってしまった。
そのせいでは完全に出遅れた。
「っ……薫くん!!」
「こっ、小金井ーっ!!」
着地に失敗した小金井は川に落ち、激流に流されていく。
その後を追ってすかさずが激流へ飛び込んだ。
「っ!僕らも飛び込むぞ、風子!!」
「う、うん!」
水鏡の声に多少怯みつつ風子が同意すると、
今度はその足元へ狙い済まされたようにナイフが突き刺さった。
「逃がさない、私の獲物……」
小金井の足を刺した人物――つまり敵だ。
二人は警戒心を強め、背後を振り返った。
岩陰から姿を現したのは体中に無惨な傷痕を残す女性。
「女……お前が“獲物”だ。来い」
「えっ、獲物ォーっ!?」
彼女は感情の見えない坦々とした口調で風子を指名するとくるりと背を向け、
また奥へと戻って行く。
―存外マイペースな相手のようだ。
憤慨する風子には目もくれない。
「風子!どうやらあいつの狙いは、お前だけのようだ。
僕は小金井とを捜しに行く。一人でも、大丈夫だな?」
確認をとる水鏡に、風子は不機嫌な顔で張り手をかました。
「誰にモノ言ってんだい、みーちゃん君?いいから早く行きなっ」
こうしてる間にも二人は激流に流されているのだ。迷ったり相談している暇はなかった。
水鏡は無言で頷くと踵を返した。
「みーちゃん。小金井に会ったらさ、言っといて。
ごめんよって……ムリさせちゃってゴメンって」
「僕は伝言板じゃないんでね。生きて帰って自分で言え」
謝罪の言葉を頼まれるが、あっさりと断る。
考える素振りも見せず即答する水鏡らしさに、風子の口からは苦笑が漏れた。
「……あんたも頼みがいのないヤツだねぇ」
独り言にも似た風子の言葉に返すことなく、水鏡は激流に飛び込んだ。
―死ぬなよ。
そう言うべきことは言ったため、それ以上の言葉は必要ないと判断したからだ。
そして水鏡を見送った風子も意を決して、敵の消えた方向へ歩みを進めた。
「――っ……!」
小金井を追って飛び込んだは、焦っていた。
体重が軽い分流されていくスピードが速く、なかなか追いつけないのだ。
ジリジリと引き離されていく中、先程から何度も呼び掛けているが返答がないこともあって、
気を失っている可能性も考えられた。
―流れが緩やかになってからの方が安全だろうか。
カナズチの場合、意識のない方が沈まないため安全だろう。
溺死することはないと思われるが、心配なことにかわりはない。
流れの先に、小金井の姿があることをしっかりと確認した状態でが迷っていると、
視界の端――前方にある小高い岩場の上に人影を捕らえた。
服装に見覚えはなく、は瞬時に敵と判断する。
―薫君が危ない……!!
よりも前を流されている小金井は、確実に狙われる。
何より、攻撃される前に意識をこちら向けなければならない。
―先手必勝、かな。
「――鉄鋼線舞」
左腕を水面より上へ掲げ、具現化した鉄線を地上へ突き刺し川から離脱する。
そして着地した体勢から、敵目掛けてクナイを繰り出した。
「――ちっ!」
わずかに早く気づかれてしまいかわされるが、一先ずの目的は達した。
「女ァ!貴様が俺の相手か!?」
耳障りとも言うべきだみ声に、眉を寄せた。
理由として一つは、水で濡れ、纏わり憑く服がうっとおしいからであるが、
もう一つは少々、虫の居所が悪いのカンに障ったからである。
「……こちらは急いでいるので、全く迷惑な話です」
不本意であることを盛大に主張しつつ、は苛立たしげに言葉を吐く。
「手間を掛けさせないで頂きたいですね」
「手間?何言ってんだ。テメェはここで死ぬんだぜ?この後の事なんて考える意味がねぇさ」
―深く、深くため息をつきたい気分だ。
自分のことや友人関係、さらには小金井を助ける方法を考えていた所に“コレ”だ。
のストレスは最高潮に溜まっていた。
「あぁ?そういやその顔……森様の抹殺リストにあったな。丁度いい。
優しい俺様があの世にいる紅麗の糞野郎んとこに送ってやるよ!」
――プツリ、との中で何が切れる音がした。
今まで押し込めていたモノが一気に解き放たれたような、禍々しいまでの怒気。
「――理解力のない方ですね。雑魚は雑魚らしく分相応に引っ込んでいたらどうですか?」
聞く者が聞けば、背筋の凍るような冷たい声。
平時のからは考えられないほど殺伐とした雰囲気を纏っていた。
―それは、そう。
裏武闘殺陣の決勝戦を思い起こさせる。
「はっ!俺がお前のような小娘ごときに殺られるとでも!?」
嘲笑う男に対し、は怒ることもなく坦々と返す。
「侮るのは勝手ですが……貴方、不意打ちを狙うことしかできない小物でしょう?
程度が知れますよ」
相手のすべてを否定する一言に、雷覇によく似た笑顔もつけて返した。
……ここまでくると、完全に八つ当たりである。
―そもそも、紅麗が崖から落ちたのは誰のせいだろうか?
言わずもがな、森光蘭のせいである。
―そして目の前にいる男は誰だろうか?
森光蘭配下の者である。
の溜まりに溜まった鬱憤をぶつける相手として、異存はない。
むしろこれ以上の相手といえば、森光蘭くらいなものだ。
例に漏れず顔を真っ赤にして憤慨した男は、攻撃態勢に入る。
「ほざけ!」
飛び道具使いらしく鎖鎌のような武器で仕掛けてくるが、
ヒラリと余裕のある動作でそれをかわす。
男は頭に血が上っているせいで動きが単調になっている。
よって、が動きを読み避けることは造作もなかった。
「邪魔です」
さっと手を振り上げると、勢いよく斜めに振り下ろした。
そこから放たれたのは複数のクナイ。
「はっ!その程度の攻撃がかわせないとでも!!」
男が軽々と避けてみせるのを見計らって、今度は腕を真横に振った。
「懲りないねぇ!!」
続けてクナイを投げ、さらに何度かそれを繰り返すと、は小さく息を吐いた。
「終わりかい?お嬢ちゃん」
「ええ、終わりです ――さようなら」
左拳を見せ付けるようにギュッと握り締め手前へ引き寄せたかと思うと、
男は血飛沫を上げてその場に崩れ落ちた。
「な、に、がっ……ぐっ……ぁ」
「辛うじて生きてますか」
の戦法はこうだ。
クナイの持ち手に糸を結び、拘束する位置を計算しつつ無数に張り巡らせる。
大袈裟に敵の攻撃を回避するなどしたのもそのためだ。
準備が整ったあとは、すべての糸を握る左手で張り具合を調節しトドメを刺すのみ。
―結果からすれば、あまりにも呆気ない勝敗だった。
男を冷たい視線で見下ろすと、無表情のままは腰に差していた刀を抜き放ち、
躊躇なく首を跳ねた。
「後学のために言わせて頂くと“殺さない”ことを前提とした戦いと
“殺す”ことが決定している戦いでは、前者の方が遥かに難しいんです。
力加減が……って、もう死んでしまっている貴方には聞こえないですよね」
目の前に横たわる首を無機質な瞳で一度だけ見下ろすと、は颯爽と歩き出した。
「先を急ぐので失礼します」
―の中にはいつでも優先順位がある。
ただ“人を殺さない”ことについての順位が高くないだけで――
人殺しが良くないことだとわかってはいるが、時と場合により負うリスクの高さと天秤にかけ、
必要ならば躊躇はしないと心に決めているのだ。
二度と失わないための保険。
それはの臆病な一面と言ってもいいが、特に現状を考慮すると過敏にならざるを得なかった。
あえて言うならば“火影のメンバーがその場に誰も居合わせなかった”
そのことが男の死に至った最大の敗因。
の機嫌が悪かったことや紅麗の名前を出したことなど、
他にも最悪の条件が揃っていたのは確かだが、
火影の誰かが居さえすれば命を落とすまでには至らなかっただろう。
―だからこそ、柳の傍に居るに相応しい人間ではないと思うのだ。
優しい彼女を知っているは、誰よりもそう強く感じていた。
―自分が綺麗な人間でないことは、自分がよく知っている。
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