ACT56:それは優しく穏やかに
「君があの時―― 屋上で僕に伝えようとしていたことを……
それを今、改めて聞きたいんだ」
予想もしていなかった水鏡の言葉。
―どうして……
の目が大きく揺らいぐ。
今まで押し殺してきたものが、ガラガラと崩れてしまいそうな、
そんな危機感を覚えてしまうほどに。
「……ダメだろうか?」
―どうして、そんなに、優しいの……?
その言葉は酷く甘く、を誘い惑わした。
誰かに依存していてばかりの自分から別れを告げると決めたばかり。
――それなのに
水鏡は柳を裏切り、火影の敵として立ちはだかったを理解しようと行動を起こした。
思い過ごしかもしれない。水鏡が気まぐれに思い出しただけということもある。
それでも ――嬉しいと思った自分がいた。
「水鏡君に、とっては……大した内容じゃ、ないですよ? だから――」
「それでも知りたい。といったら、迷惑だろうか」
「っ……」
―なんで、どうして、凍季矢がそこまで執着するほどのことなんて……
沈痛な面持ちで尋ねてくる水鏡に困惑する。
彼がそこまでして、関わってくる理由がわからなかった。
好意を持っている自分から行動を起こすならまだしも、と。
考えがそこまで行き当たって、は小さく息を呑んだ。
―柳ちゃんの、ため?
その結論を想像したと同時に、の心は大きく荒れた。
「……」
水鏡の問いかけに、は俯いたままゆっくりと頷いた。
けれども、その顔を見ることはできなかった。
「――これから話すのは、昔のこと、です」
の脳裏に浮かぶのは、紅く燃え盛る炎。
「……私は、地図にも載っていないような、小さく閉鎖的な村で育ちました。
その村は、幼い頃から忍になるための訓練が施されます。
もちろん、私も例外ではありませんでした」
裏武闘殺陣の折に紅麗が示唆していた内容。その真実がそこにあった。
「けれど私が物心ついてから少したころ……村は焼失しました―― 森光蘭の手の者によって」
その名を口にしたとき、の目は見るものを凍てつかせるような禍々しい眼光を放っていた。
怒りや憎しみを通り越し、その存在をも認めないと言わんばかりの“拒絶”がそこにあった。
「襲撃された理由はすでに、気づかれているかと思いますが、村に存在する魔導具でした。
私が所持する『鉄鋼線舞』これも村にあったものです。
村ではこれ以外にも複数の魔導具を管理し、更なる魔導具の回収のために利用していました」
「なぜ、そこまで……」
水鏡は小さく息を呑んだ。
紅麗が――いや、その黒幕である森光蘭が、火影の魔導具を集めていたことは知っていた。
何より先の裏武闘殺陣は、魔導具を効率よく回収するための武祭なのだから。
――しかし、の言うそれは一方的な暴力。
事実、虐殺と言っても過言ではない惨状がそこには広がっていた。
水鏡は、今まで目にすることのなかった“裏”の被害者と、はじめて出会ったといってもいい。
狙われる対象として“治癒の少女”に意識は囚われがちだが、知らないだけで、
目に見えないところでは、強大な力の前に屈服せざるを得ない者たちが少なからずいる事実。
それを目の当たりにした。
「“それは自分たちの手にあるべきものだから”というのが、長の口癖でしたよ――
“火影の民の末裔たる我らが”と……」
「ま、さか」
「戦うこともせず落ち延びた火影の民……私と兄はその子孫にあたります。
そして、そんな私たちの前に現れたのが、村の襲撃に参加されていた紅麗さまでした」
幼いながらに放たれるその存在感。
は今でもその姿を忘れることはない。
「――っ、ちょっと待ってくれ!なら、どうして君は紅麗に……!?」
「……紅麗さまに、感謝しているからです。もう一つは、贖罪を」
理解できないとばかりに顔を顰めた水鏡。
それを見てとり、は少しだけ泣きそうな表情をすると小さく笑った。
「森の手の者により村は急襲を受け、応戦も間に合わず壊滅状態。どこか、似ていませんか?
―― 400年前、火影が滅びたときに。
そしてまた、その時代を繰り返すように……懲りもせず逃げ出そうとする者たちがいた」
「……?」
「私はその時、時間稼ぎのための囮として、持ち出しきれない魔導具を守るよう命じられました。
それに反対し逃がそうとしてくれていた両親は、襲撃者ではなく同じ村の者たちに殺されました」
躊躇することなく、仲間の屍を踏みつけ逃げ出そうとした者たち。
そのために“死ね”と宣告された者が、どうして怨まずにいられようか。
当時、幼かったには、起こった出来事すべてを理解することはできず、
いくつかの記憶と事実だけが残った。
けれどすべてを目の当たりにし、理解した雷覇は、怒り、悲しみ、嘆き、大きな遺恨を残した。
「さらに彼らは周到にも、兄の存在を引き合いに出し、私が逃げ出す道を固く閉ざした。
一人残された私は、その時……はじめて人を殺しました。
広がる真っ赤な血の海は、今でも忘れません」
花菱烈火と水鏡凍季矢。
二人を分ける決定的な違いは「人殺し」に対する意識の差が含まれる。
水鏡以外の火影のメンバーもどちらかと言えば烈火寄りな考えにあり、
命に対するスタンスも似通っている。
―だからこそ
は、柳にだけは知られたくなかった。
とても今更かもしれないが、嫌われたくなかった。
―目の前で拒絶の言葉を貰うかもしれない。
そう思うと、臆病なは告げることができなかった。
「救いの手を差し伸べてくれたのは ――紅麗様でした。
“炎術士たるは頭首の証”生き恥を晒す村人でも、知らぬ者はいません。
火影の汚点と言ってもいい私や兄の存在は、粛清の名の下に殺されても仕方がなかった。
しかしそんなものは関係ないと、私たちの存在を認め、側に仕えることをお許しくださりました。
……私の命は、その時から紅麗様のものです」
は躊躇なく言いきった。
それが何より、誇りであったから。
「逃げ延びるために両親を躊躇なく殺した彼ら、こうして生き延びた私たち。
長き時を経ようとも、この身には卑しい血が確かに流れています」
―忌むべき血。
そこに括るのは、が自分自身の存在を許せないからかもしれない。
直接手を下したわけではないが、両親を殺したのは自分だという負い目があるから。
“私がいたから両親は殺された”
“火影の生き残りなどでなければ”
「それが、の“火影”に入れない理由だとでもいうのか?」
「その通りです。私が、その名を名乗ることを許されるのは紅麗さまの元でのみ。
花菱くんの言う『忍』は志こそ立派ですが、甘すぎる」
「否定はしない、が……しかし、君の行動には矛盾点がある。
館での柳さんの一件。本気で柳さんを心配し救出しようとしていたように僕には見えた。
そこに関与はしていなかったのか?」
水鏡の着眼点は実に鋭かった。
それはその時のと行動共にし、見ていたからこそ言える言葉だった。
「……ええ。中学・高校は、私の我が侭と兄さんたちの好意から、
一般人として生活させてもらっていましたから」
いくらお礼を言っても言い足りない。
いくら謝罪の述べても全然足りない。
でも、その言葉を伝えなければいけない相手が、いない。
はそっと目を伏せた。
「そう、か。君が諸手を挙げて友人を差し出すような外道じゃなくて、よかった」
「……柳ちゃんを悲しませずに済みましたから、ね」
がポツリと半ば呟きにも似た言葉を返すと、水鏡は訝しげな顔をした。
「僕は……が、僕が知ると変わっていないようで良かった、
という意味で言ったつもりなんだが」
「え……?」
まさか、異論の言葉が返ってくるとは思ってもみなかったは戸惑った。
今のを見て「変わっていない」という水鏡の発言の意図も分からない。
「柳さんが悲しまずに済むとういうのは、確かにその通りかもしれないが……
君が僕に打ち明けてくれたことをわざわざ他人に言いふらす趣味はない」
「どうして……」
「最初にも言ったが、僕が知りたかったからだ。それだけじゃだめか?」
―わからない。
どうして水鏡がそういう行動をとったのか。
どうしてそのような言葉を投げかけてくるのか。
彼にメリットなどないはずなのに。
がさらに困惑した表情を浮かべるのを見て取って、水鏡も困ったように笑った。
「君を、困らせるつもりはなかったんだが……すまない」
「っ、水鏡君は……」
「ああ、それと ――凍季矢でいい」
突然の言葉に、一瞬はなんのことだかわからなかった。
「そう、前に言ったはずだが?」
「でも、それは……!」
「一度言ったことをちょっとやそっとのことで曲げるつもりはない。
何より先に言い出した、君の方だろう?その余所余所しい敬語もなしだ」
「困らせるつもりは――」と謝った口が、さらにを困惑させる発言をする。
水鏡の名を親しげに呼ぶ資格は無いと思ったからこその呼び方だったにも関わらず、
本人はそれを不服としているらしい。
―なんと呼べば良いのか。
自分の対応方法を決められず、口を噤んだ。
「、僕は元々、特別火影に執着があるわけじゃない。
紅麗に関しても、柳さんのことを除けばどうということもない。
むしろ自分に近しいものを感じるくらいだよ。
……戒が、紅麗に付き従っていた理由も、なんとなく分かる気がする。
―だから、に障りがないのなら前と同じでいい。いや、僕がそうして欲しい」
―ドクン……!と鼓動が大きく高鳴った。
水鏡に特別気に掛けてもらえるほど、何かをした覚えは無い。
「お願い、だから……」
「……?」
「お願いだから、優しくしないで……!」
の膝がその場に崩れ落ちそうになるのを慌てて水鏡が支えた。
「私はっ、貴方に優しくしてもらえるほど、綺麗な人間じゃない!」
自分がしてきたことを自覚しているからこそ、自身を貶める言葉を吐き出した。
―この両手は血で紅く染まっているから、だから――
水鏡はそんなの叫びにも似た声に、思わずその肩を抱きしめた。
「……僕だってお世辞にも綺麗な人間なんかじゃないさ。
けど、誰かに優しくするのもされるのも、そんなことは関係ない」
「それでもっ、私は――」
「優しくされたくない、か。そして……許されたくない」
「――っ、」
「同じだな……あの時の僕と」
遊園地での一件。
傷ついた水鏡の姿と、今のはどこかダブって見えた。
「あのとき君が言わなかった理由が今、なんとなくわかった」
それはも責められる側だから。
誰かを追及できるほど、正しい価値観など持ち合わせていない。
「僕も、改めて言おう。
クラスメイトで家が隣りの、現在かなり気になっている子を放って置けるほど、
僕は冷徹な人間じゃないんだ」
「っ……!」
の耳はほんのりと赤く染まっていた。
彼から向けられる優しい眼差しに、少しだけ泣きそうな柔らかい笑みをは返した。
「……ありがとう、凍季矢」
「……あ、あぁ……っ!」
―フイッと逸らされた水鏡の耳も、ほんのりと赤く染まっていた。
少しして、改めて自分たちの体勢に気づいた二人が、慌てて離れるのは……蛇足だ。
Back Menu Next