ACT49:天国と地獄
「終わった……」
烈火が勝った。
そして紅麗が負けた。
烈火に駆け寄る人々や、近くに居る者たちと勝利を喜び合う人々。
烈火や火影を褒めたたえる声は鳴り止まない。
そんな盛り上がる人々の間を縫うように擦り抜け、は一人、紅麗の横にそっと膝をついた。
「紅麗様……お疲れ様です。」
その健闘を称えては頭を下げた。
「っ!……、か……」
が声を掛けると、意識を取り戻したのか紅麗はうっすらと目を開けた。
「はい。本当に、お疲れさまでした……」
「私は……そうか、負けたか。」
「紅麗、さま……」
ゆっくりと体を起す紅麗の腕を取り、は肩で支えた。
そしてフラつきながらも、紅麗は自分の足で立ち上がった。
「、すまない……」
それにはゆるゆると首を横に振って答えた。
紅麗に肩を貸すのが苦になるはずもなく、少しだけ困ったように笑った。
ただ、やるべきことを終えた以上、この場に留まる理由はなかった。
勝利に沸くこの場所に、敗者がいつまでもいるわけにもいくまい、と。
特に行く当ても無いまま、二人は雑木林の中へと足を進めた。
「終わり、ましたね……」
「あぁ、終わったな……」
木々の茂る中を人目を避けるように、二人はゆっくりと歩いていた。
感きわまって涙で瞳を潤ませてたの頭を、紅麗が苦笑を浮かべつつ撫でていた。
「泣くな、……」
「そう、言われましても……」
紅麗に優しい言葉を掛けられると、余計に涙が出て来るのだ。
「お前は相変わらず泣き虫、なのだな。」
「くっ紅麗様が、いけないんですよっ!」
「……悪かった」
―に泣かれると困るな。と紅麗はさらに苦笑を漏らした。
何年振りに見るだろう、優しい紅麗の表情には涙が止まらなかった。
頭を撫でる手も、声も昔と変わらない。
失ったモノも多かった中での『不変』は、本人の想像以上に安心感をもたらしていた。
そんなを穏やかな表情で眺める紅麗は―フッと口許を緩ませた。
―……が泣くと、泣かせた相手に笑顔で凄む雷覇や、避難の声を上げる音遠、
の宥め役に磁生と、その3人が必ずと言っていいほど揃った。
だからに泣かれるのは、何よりも困ったものだ……とそんな昔の事を思い出していた。
紅麗にもまた懐かしさがゆっくりと込み上げてきた。
「……お前にも、心配をかけたな。」
ポツリと呟かれた言葉。
つい感傷に浸ってしまったそんな己が気恥ずかしくなって、
半ばその照れを隠すために紡いだようなものだった。
が、はそれにハッとして、突如顔を上げた。
「……あ。」
「どうか、したか?」
紅麗がわずかに不思議そうな顔をした。
「音遠のこと忘れてました!」
「音遠、がどうかしたのか?」
「どうしたもこうしたも!きっと今頃、顔を真っ青にして心配してますよ!?
それに忘れてた事言ったら、お、怒られる……!!」
みるみるうちに顔色を青くさせるに、紅麗は少々呆れた顔をした。
「……お前はそこも変わってないのか。」
「紅麗様!! だって音遠は紅麗様に関しては特に通常の十割増の怒気で……
怒るとまさに般若みたいに怖いんですよ!?」
自分で言って、それを想像してしまった。
「と、とにかく、呼んで来ます!!」
「……気をつけてな。」
呆れ半分、どこか微笑ましい顔で紅麗はその背中を見送った。
―……それは、束の間の幸せだった。
「―…音遠!」
「!アンタ今までどこに!? っそれより紅麗様知らない!?」
矢継ぎ早に問い詰められたは、圧倒されつつ口を開いた。
「お、落ち着いて音遠!! 紅麗様はこの雑木林を抜けた先に居るはずだから……!
一人で居るだろうし、急いで行ってあげてね?
私はジョーカーにも声掛けてくるから!またあとでね!」
さらに音遠に追及される前には逃げた。
しかし、ある程度走った所で後ろを振り返り、
音遠が紅麗の元へ向かったのを確認すると表情を和らげた。
「頑張れ、音遠。」
言った手前、一応ジョーカーにも目配せだけはしておいた。
直接言いに行きたいのは山々だが、何せその張本人が火影メンバーのすぐ側に居る。
風子や土門の姿は見えないが、きっとこの辺りには居るだろう。
できればまだ距離を取っておきたいは、紅麗の居場所をそれとなく教えるとすぐに踵を返した。
そして足取り軽く、来た道をまた戻っていった。
―な、に、これ……?
は自分の目を疑った。
―どうして、あいつがここにいるの?
―どうして、紅麗様は血だらけだったの?
―どうして、紅麗様と音遠が海へ落ちたの?
―どうして、どうして、どうしてっ……!!?
―あれは…………ダレ?
ガラガラと音を立て、何かが崩れていった。
愕然とする中、目の前が真っ暗になっていく。
少し前に別れた紅麗。
彼はこの場に、一人でいるはずだった。
―そう、一人で……っ私が、私が一人にしたのがいけなかったの?
混乱した頭は、状況をうまく飲み込めずにいた。
―どうして、なんで……そう言いたいのに喉が焼けるように熱く、言葉は出てこない。
足下がフラフラとし、力が抜けてその場に崩れ落ちてしまいそうだった。
しかしは懸命に踏み止どまる。
―……あいつは、あいつらは『森光蘭』だけはっ!!
“許さない”と心が痛いほど叫んでいた。
紅麗が弱っている所を巧妙に突いてきた卑怯者。
紅麗の命を奪おうとした憎むべき『敵』
―カッ!!と今度は目の前が赤く染まった。
海に落ちた二人は絶対に生きている……生きているはずなのだ。
信じるより他にのできることはなかった。
―だから……捜しに行かせるわけにはいかない。
膝にもう一度力を入れ直し、手持ちの武器と魔導具をザッと確認した。
戦闘する予定などなかったから万全とまではいかないまでも、やれないことはない。
膨れ上がり、今にも爆発してしまいそうな感情を必死に抑えた。
―相討ちになろうとも絶対に仕留める……!!
クナイを片手に憎悪の対象たる森光蘭に狙いを定めた。
そして、木陰から身を乗りだそうとしたその時……
―グイッと力強く、後ろから腕を引っ張られた。
「なっ……!!?」
集中するあまり周囲への注意力が散漫になっていた。
不意打ちのことに抵抗する間もなく、は両腕を拘束された。
「今、出てったらアカン……!!」
叫ぼうとしたの口を塞ぎ、耳元で囁いたのは紛れもなくジョーカーだった。
「っ……!!」
「自分も状況はようわかりません!
けど、敵さんの情報が全くない中突っ込むのはあまりに無謀ですわ……!!」
森光蘭たちが立ち去って行くのを見守りながら、ジョーカーが必死に語りかけてきた。
「それでもっ、紅麗様と音遠が……!!」
ジョーカーの手の隙間から反論の声をあげる。
しかしジョーカーは険しい表情のまま、首を横に振った。
「あかん!嬢ちゃんにもしものことがあったら、どないすんねん!
もし、こんな所で嬢ちゃん死なせた言うたら、自分が紅麗さんに怒られてしまいますわ!」
「そ、れは……」
「紅麗さんらなら絶対に大丈夫や!! あの人がこんな所で死ぬわけあらへん!!
音遠さんも付いとるし!大丈夫に、決まっとる……!!」
彼の胸中も複雑なのだ。
何度も『大丈夫』と繰り返し、自分自身にも言い聞かせていた。
不安を振り払おうと必死で、本来ならばの身を案ずる余裕などない。
けれど、を見捨てるようなことも出来なかった。
―そう、彼ほどの人物でも動揺せずにはいられないこの状況。
―落ち着け……!!
目を閉じ―グッと拳を握り込んで感情を鎮めた。
「……ごめんなさい」
ようやく落ち着きを取り戻したの口から、謝罪の言葉が零れた。
―も忍だ。
いくら雷覇に甘やかされて育てられたとはいえ、感情を殺す術も心得てはいる。
その様子に大丈夫だと判断したのだろう。
ジョーカーも拘束する力を緩めた。
「……そない気にせんといて、な?とにかく、一旦ここから急いで離れませんと!」
「ジョーカー…さん……」
「『ジョーカー』でええよ、嬢ちゃん。」
そう言ってジョーカーは場違いな、いつもの飄々とした笑みを浮かべた。
ただ彼らしくもない、少しだけ引きつった笑みだったけれど……
それでも必死に場を和ませようとする姿に、も少しだけ笑って小さく頷いた。
―また幸せな日々がくると、信じ止まなかった。
幸せな未来があると、信じて疑わなかった。
―失ったモノが多かったけれど、少しずつ取り戻す道もあるのだと……
そう思っていた矢先のことだった。
―たった今……一人の男の手によって呆気なく壊されてしまった。
―ただでさえ不安定だった世界が、あっという間に崩壊した瞬間だった。
―『未だ終わらぬは“業”の輪廻』
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