ACT47:壊れて失った欠片を探して
二人は無言のまま歩み寄った。
視線は互いを捕らえたまま、一歩また一歩と確実にその距離を縮めていった。
きっと、周りなど視界に入っていないのだろう。
烈火と紅麗は互いに、二人だけしか認識していない。
つまり、観客など存在していないに等しい。
例えどんな罵声を浴びせてみたとしても、今は届かないだろう。
リングがなくとも、二人と観客たちの間には確かな隔たりがそこにあった。
あと数歩、そんなところで二人は足を止めた。
そして、繰り出されたのは互いの強烈な拳だった。
「……っ!!」
観客は驚きの余り声が出ない。
ドームが崩壊する前まで繰り広げられていた炎術合戦。
そこから一転して突如、炎の片鱗すらない肉弾戦になったのだ。驚かないわけがない。
それが烈火だけ、紅麗だけ、というのなら戦法を理由に納得もできた。
しかし、両者共に肉弾戦に切り換えたその理由が観客たちには理解できなかったのだ。
「まさか……」
「うん、多分二人とも…もう炎が使えないんだね。」
ハッとした音遠にも小さく頷いた。
「ドームが破壊されるほどの力の解放で、二人の精神力はすでに限界、か……」
―ならばここからは……
「『体力と気力の戦い』」
今まで積み上げてきた己の努力の成果と、同じく己が貫く信念の強さ。
その二つがより優ったほうの勝ちだ。
殴る、蹴る、吹き飛ばされる。
武器の類が一切ないそれは、ただの喧嘩のようでいて、
喧嘩にはない鬼気迫るものがあった。
「……花菱君の動きが、少しだけぎこちない」
―まさか、骨が1本か2本イッてる……?
紅麗の強烈な頭突きを食らい、烈火が膝を着いた。
その姿にわずかに烈火の方が不利か、とは目を細めた。
「烈火……おまえはよく『守るべき者のために戦う』とほざくな?
『それが忍だ』ともな……」
紅麗の拳は、膝を着いたままの烈火を容赦なく殴り付けた。
「ヒーロー気分でいるつもりか?
しかしな、そんな綺麗ごとなど……失った者のない楽天家のセリフにしか聞こえん。」
―紅麗様……
音遠やの脳裏に浮かび上がるのは、森の手によって、
儚くその命を散らしてしまった紅の姿。
「貴様に失う気持ちがわかるのか?わかるのか!!? 答えろ烈火!!」
感情を荒らげながら、何度も何度も烈火の頭を踏み付けた。
「平凡な家庭に拾われ!!なに不自由なく気ままに暮らしてきた貴様!!
そんな奴に、私の苦しみなどわかるまい!! わかるはずがないのだ!!!」
それは麗の中でも長い年月を共に過ごした、この場には居ない雷覇でさえ、
紅麗のすべてを理解してはあげられないだろう。
悲しみ、苦しみ、憎しみ、限り無く近い所まで理解することまではできても……
いつも、ただ側で見守っていることしか出来なかった。
―何度、己の無力を祟ったことか。
烈火には想像もつかない次元の話と言っても過言ではない。
「……空海、といったな?」
名指しで呼ばれた空海は動揺を隠しつつ、険しい表情でしっかりと紅麗を見返した。
「貴様は一回戦でこいつに言ったな?
『死んでも守る者の為、人をも殺す覚悟はあるか?』と……それは真理だよ。
そしてその問いに出したこいつの答え……『オレは己の道をいく』
……実にマヌケな、子供じみた返答とは思わんかね?
そして、自分の道を歩んだ者の姿が、これだ。」
ドームの瓦礫の破片――石の塊を鷲掴むと、それで烈火を殴り付けた。
それにザワめく観客の声など耳には入らない。
「――烈火……幸せな現実と、苦悩の地獄が隣り合わせだという事を教えてやろう。
貴様も……貴様も……貴様も苦悩を知れ烈火!!!」
―何故、紅麗様だけが……
そう思ったことは数え切れないほどあった。
―守りたかった。
―守れなかった。
―そして……目の前で死んでいってしまった。
何度も繰り返すうちに、心は深く深く暗い底へと沈んでいった。
狂ったようにいつまでも耳に残る『すべてを砕いた者』の笑い声。
―殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺して……
いくら努力しても、自分が大切な者を守れる力が得られる日は来なかった。
―ならば大切な者など作らない方がいい。弱い者など切り捨ててしまえばいい。
それが自分も、相手も守る最良の手段だった。なのに……
『紅を失った』
そこからまた何かが狂い始めた。
―弱い者はとにかく切り捨ててしまえ。
壊れたテープレコーダーのように、何度も擦り切れそうになっても、
なお自分に言い聞かせ続けてきた言葉。
そしてある日偶然『烈火』を見つけた。
ヘラヘラと平和ボケした思考、幼稚な戦闘技術。
己の非力さや身の程も知らず、ノコノコと現れた存在。
―無償に腹立たしかった。
何の因果か、笑ってしまうほどに自分とは何もかもが違う。
気付けば、自分の中でナリを潜めていた毒々しい獣が、その牙を剥いていた。
「今はまだ殺さん!!治癒の少女を森に奪われ!!
『守れなかった』という己の無力さを呪わせ……失う絶望感を味わわせた後……」
ドームの鉄骨だったその一部を拾い右手に握り、力一杯振り上げた。
しかし―ガシリと、先ほどまで聞こえていた鈍い音が止んだ。
「……オレ、本当にバカだからよ、わかんねーんだ……
自分が正しいのか、間違ってんのかもわかんねェ……
正義の味方やってるつもりもねーしよ……」
誰だって、本当に正しいことなどわからない。
それでいいのか、疑心暗鬼にとらわれながら、それでも答えを探す。
そうしなければ前に進めないから。
それがわかっているからこそ、怖くとも最善の道を模索する努力を惜しまない。
「足りねえ頭で山程よ……ずーーっと考えてたんだ。『ふざけるなよ馬鹿野郎』!!!」
烈火が紅麗を力一杯殴り飛ばした。
「紅麗……イヤミじゃなくてよ、おめえは本当にスゲエ奴だと思う。
そんだけ辛くて……悲しい思いをしてきた人間が――
十字架背負って、それでも足踏ん張って戦えるってスゲエよ。」
ゆっくりと殴り飛ばされた紅麗が立ち上がるのを、
烈火は静かに眺めながら言葉を紡いだ。
「同情するつもりはねぇが……
音遠から話を聞いて、お前がぶっ倒していい奴か迷ったのも確かだ。」
そう言った烈火を紅麗はギロリと睨み上げた。
「迷う事自体、貴様が甘いという証明なのだ!!!」
紅麗には、迷っている時間さえ与えられなかった。
「けどよ……ふっきれたよ。
しょってるモンがでけえってのはよ、こっちも同じなんだ。」
向かって来た紅麗を烈火がまた殴り飛ばした。
しかしその目は、坦々と何かを見据えていた。
―それは柳だけではない『何か』
紅麗の叩きつけられた岩壁が、その衝撃でガラガラと崩れ落ちる。
―そしてそこには同じく、目には見えない、崩れ始めたものがあった。
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