ACT37:事実と嘘と心の声と
「…やってくれたわねぇ…! ――魅虚斗!!」
命の顔が凶悪に歪んだ。
「そのションベン臭いガキ顔を魅力的にしてあげるよ!!
目玉をくりぬいて歯をすべてへし折ってさァァ!!」
命が魅虚斗と共に、攻撃を仕掛けた。
傍目から見てもわかる2対1という不利な状況。魔導具とはいえその数字は大きい。
―しかし
変わらず魅虚斗を上回る速さにより、風子はその攻撃を軽々と躱していく。
―速い……!
の予想以上に風子は成長を見せていた。
あっという間に命の正面まで来ると、余裕の笑みでリングへと叩き付けた。
「もっぺん言えるか?だ・れ・が・ションベン臭いって?」
鬼気迫る風子の様子は、彼女がどれほど怒りを感じていたかがよくわかる。
「ひ……っ!」
その気迫に当てられてか、小さく悲鳴が上がった。
「ご…ごめんなさい…許してっ。」
命の双眸から涙が零れた。
「紅麗様の命令だったの、私、本当はただのいくじなしなのよ!!
もうイヤ!!怖い思いなんてたくさん!!ゆる…して……」
そのまま命は許しを請うようにリングへと泣き崩れた。
そんな様子に風子も毒気を抜かれてしまったようで、張り詰めていた糸を緩めたのがわかった。
一方……
観客席では―ギリッ!!と奥歯を噛み締め、その光景を険しい表情で睨み付けている人物がいた。
「あんのっ、女狐……!!」
「………」
紅麗にすべてを擦り付けるような発言が我慢ならないらしく、
射殺さんばかりの顔で命を睨み付けていた。
同じく隣りに立つ雷覇も、何かを警戒するように眼光を鋭くした。
―命の狡猾さを知る者としては、とてもじゃないが楽観視など出来るわけがなかった。
そもそも、嫌々やっていて十神衆に上り詰められるほど『麗』は甘くない。
の中でも会場に漂う違和感を察してか、警鐘は鳴り止まない。
すると危惧していた通りに、風子の真後ろで魅虚斗が勢いよく起き上がった。
「っ…!!ふ…「早く逃げて風子さん!!命の爪が!!」」
咄嗟に、風子の名を呼ぼうとしたを遮るように、少年の焦った声が響いた。
それに反応して、持ち前の素早さで致命傷は避けたが、やはり無傷というわけにはいかなかった。
風子の左肩には真新しい傷が出来ていた。
「命……猿芝居にしちゃ、うまい泣きマネだったじゃんか。」
「涙は女の武器なんだよ。覚えときな、ションベン娘!」
泣いていたことなどまるでなかったかのように、命は吐き捨てて言った。
「音遠……命は決して弱くない。
押されていたのは、それだけ風子さんが成長したというだけのこと。」
雷覇は変わらず、険しい表情でリングを見据えていた。
「しかし命の強さ、恐ろしさは、戦闘能力とは別の所にあります。
第一に…あなたもよく知るその性格。
狡猾にて非情、自分が助かるためならば、彼女は紅麗様でさえ平気でウソの材料とする。」
ピリピリとした空気が3人の中に漂う。
「第二に、あの爪です。魔導具・魅虚斗に装着されたもう一つの魔導具『毒魔針』」
「……傷つけた者の体を破壊する、十の爪……」
雷覇を横目で気にしつつ、は再度中央リングを見た。
―状況は絶望的と言っても過言ではない。
「おほほほっ、ほほほほほっ!ひっかかったねェ、このバカ女!!終わりだ!!
いいカッコして余裕見せてるからだよ、マヌケ!!」
風子を侮辱する言葉が次々に命の口から吐かれていく。
―それはこの時点で、勝ちを確信したからだろう。
明らかにどこか様子がおかしい風子と、愉快とばかりに笑う命。
一瞬にして立場が逆転しまったこの状況。
その理由として、考えられる原因は一つだ。
―さっきまではなかった『毒魔針』により傷つけられた肩の傷。
「リミットは10分間!!毒が体中にいきとどく時間さ!!
愛する男な抱かれたかったとか、ママに会いたいとか…
この世に未練を感じながら死になさいなっ、ホホホホホ!!」
―10分……その時間はあまりにも短い。
命が言う通り、誰もが絶望を感じずにはいられない、僅かな時間。
「これが命を司る女、命の殺し方!!今までずっとこうやってきたのよ!
死に恐怖し!生への希望を私に哀願する姿が絶望の色に染まっていくのは大好きだわ!!」
「風子ォオオオオオ!!!!」
―絶望
それは毒に冒される本人だけでなく、その周囲の者たちにまで忍び寄る。
風子の危機に、火影陣営は動揺の色を隠せずにいた。
中でも顕著なのは土門だ。
先鋒戦での怪我も決して軽くはないはずなのに、
何とかならないかという、切なくなるほど必死な声が聞こえてくる。
―毒魔針は特別な毒であり、通常の解毒薬の類いは一切効かない。
そのため、万一に備えて対となる魔導具が存在する。
そう、唯一の解毒方法はただ一つ。望みはそこに賭けるしかない。
「―彼女は持っているはずよ!解毒の魔導具を!!」
陽炎のまさに鶴の一言と言える発言に会場がざわめく。
「ホホホホっ…確かに存在するわ。持ってないけどねェ!!」
―絶望の底へのご案内。
命の一言は、風子だけではなく火影やこの会場の観客を、一気に奈落へと突き落とした。
そんな彼らの状態が堪らないとばかりに恍惚な表情を浮かべつつ、命は風子に飛び掛かった。
「決して……勝てない相手ではなかった。
―むしろ、客観的に見ても風子に分があったと思う。
だけど己の判断が油断を生み、窮地に陥らせた。」
は独り言のようにポツリと呟いた。
「……偏にそれは、風子自身の甘さがもたらしたこと。
そして、自分の命をも脅かすこととなってしまった。」
「……」
「世の中がね……理不尽なことばかりだっていうのは、
昔から痛いほどよく知っているわ。知って、いるのに……!!」
の肩はわずかに震えていた。
手はキツく握り締められ、自分の感情を必死に抑えようとしているのが見て取れた。
雷覇は心配そうな顔でそっとその頭を撫でようとしたが、一瞬躊躇してすぐにその手を下ろした。
―が忍として精神的に未熟であることは、承知している。
いや、わかっているというよりも、自分がそうなるように育てたという方が正しい。
を自分のようにしてはいけないのだと、雷覇は昔からずっと思い続けてきた。
一人の『忍』として完成などさせて失いたくなかったから。
出来るだけ平穏に、普通の女の子として幸せになって欲しかったから。
もちろん、今でもその思いは変わっておらず、方針自体が間違っていたとは思っていない。
ただその思いが、こうした形で彼女を苦しめることになろうとは……
「―、目を逸らしてはいけません。」
―私は、自分勝手な酷い兄ですね。
はその手を血に染めていても、失うことに対して敏感で、感情を殺すことが出来なかった。
―それでいい。
雷覇は思う。
紅麗への忠誠は絶対であるが、しかしそれをに強制するつもりはない。
それでも……
―乗り越える強さを持って欲しかった。
ずっと、自分が側に居ることが出来ないとわかってしまったから……
―そして願わくば、これ以上彼女が悲しむことのないように。
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