ACT22:さよなら
「―いい、言うな。それ以上…」
それは、誰の言葉だったか。
皆が一瞬、ハッと我に返ったように息を詰めた。
が紡ごうとした言葉の先。
それを唐突に遮ったのは…
「凍季也…」
彼の目が、真っ直ぐにを捕らえていた。
「例え誰であろうと、僕らが進む道を遮ることは許されない。
それが、君の兄さんであっても…」
言いながら、その目が微かに細められていくと同時に、
先ほどまで帯びていた暖かな色が消えていくのがわかった。
「……わかってる。柳ちゃんのためにも、火影は負ける訳にはいかない。そうでしょう?
その決意は、リングの外から見ていた私にも十分伝わって来たもの…。
水をさすようなこと、できるわけがないじゃない。」
水鏡のソレをは素直に肯定した。
「……すまない。」
「ううん…私の言い方が悪かったの。
兄は、麗に所属しているけれど、決勝戦に出ることはない。
それだけ、言わせてもらいたかった……」
ゆっくりと水鏡を見返し、わずかにほほ笑んだ。
「そう、なのか…」
「うん、本当にごめん。決勝戦前に、動揺させるようなことばかり…」
けれど、これから伝えなければいけないことは、彼らに、より大きな衝撃を与えることだろう。
―はやく、早く言ってしまわなければ。
長引けば長引くほど、胸の痛みは強くなっていく。
「そ、そんなことない!」
すると、二人の会話を静かに聞いていた柳が、慌てて声をあげた。
「そんなことないよ…!だってちゃんは、皆のこと考えて話してくれたんでしょ…!?」
「…ありがとう、柳ちゃん」
はそれに、できるだけ優しくほほ笑み返した。
―私は決めてしまったから。
もう、その気持ちに答えることはできない。
この顔は、まだちゃんと笑えているだろうか。
「―凍季也……」
は屋外に水鏡を誘い出した。
火影の大将である烈火でも、親友であった柳でもなく、彼を…。
「…用とは何だ?」
「あ、うん…ちょっと待って。」
「は……?」
のその返答に、水鏡は珍妙なものでも見るような顔をした。
「!…あ、いや、ちょっと覚悟がいるっていうか…うん、言います!」
「…そうか?まぁ何でもいいが…」
小さくグッと拳を握る。
そんなに、水鏡が少々気圧され気味だったということは内緒だ。
「とりあえず…さっきの続きから。
できれば、誰にも話さない方がいいことなんでしょうけど、凍季也にだけは言っておく…」
「僕に…だけ?」
「何ていうか…『信頼している』と思ってくれていいよ。
凍季也なら、全部話しても唯一、変わらない気がするから。」
そしては一瞬だけ視線を外し、ためらう様子を見せたが、
もう一度、しっかり水鏡の目を見つめ直して言った。
「私は――」
言いかけたところで、言葉は止まった。
「あいつら……」
水鏡は眉間に手を当て溜息をついた。
『ちょっ…押すなって』
『全っ然聞こえねぇー』
『気付かれちゃうよ!』
『うるせー!』
『や、やっぱりやめようよ!』
『みんな静かに…』
―ちなみに。
水鏡が閹水を片手に、つらら舞いを放ったのは数分後のことである。
―…そして結局、この場に火影のメンバー全員が揃うこととなった。
「…ご、ごめんなさい!ちゃんたちを追いかけて来るつもりはなかったんだけど…」
「だってよー、なんか怪しい雰囲気だったし気になるじゃねぇか!」
「はーい!風子ちゃんは、がみーちゃんに告白するんじゃないかと。」
―あながち間違ってはいないが……
あまりにも反省の色がない。
「お前らな…!」
「ご、ごめんよー!」
けれどそんなやり取りにだけは、どうしても笑えなかった。
「さん…?」
「え、まっまさかマジで告白!?」
「ご、ごめん!調子に乗り過ぎたっ…!!」
焦り出す面々とは対象的なほど、の表情は固い。
「、ちゃん…?」
「ど…して、なんだろ…ね…」
俯いたまま、の口から小さく息が零れた。
「上手くいかない、ね…」
そんな様子が心配になったのか、柳はに手を伸ばす。
「ごめんなさい…」
その手を避けるようには柳から、その場にいる面々から、僅かに距離をとった。
「…っ、ちゃ…!?」
『拒絶』
その事実に柳は動揺を隠せない。
「どうして来たの…?私は……」
―あぁ、そうだ…もう、終わらせてしまえばいいんだ。
「ごめ、ごめんねちゃん!!っ今すぐ、出てくから…!」
近くにいた烈火と風子の手を掴んで、柳は急いでこの場を離れようとした。
「姫…!?」
「や、柳…!」
助けを求めるように、二人はを振り替える。
その視線が交わることはないが、口許が小さく動いたのがわかった。
「―…待って。」
大きな声とはお世辞にも言えないが、柳の動きがピタリと止まる。
それに烈火と風子も、とりあえず安堵の息を漏した。
「……私は、みんなに謝らなければいけない。」
唐突な言葉に、全員が目を見開いた。
「…どうして?」
そのとき、背を向けていた柳がゆっくりと、ぎこちなくだが振り返った。
―何故か、とても、嫌な予感がしてならなかったのだ。
「私は、は……あなた達の…
―火影の『敵』になる……」
その唇の動きは、とてもゆっくりに見えた。
しかし声は、言葉は、しっかりと耳に残っていた。
『!!!!!!』
「え……?」
「さん…」
「っ…!?」
『敵』という言葉の衝撃が彼らに駆け巡る。
―理解などしたくない。
当然だ。自分たちは、彼女を仲間だと思っていたのだから。
―…自分たちは彼女にとって一体、どの程度の存在だったのか…裏切るのか?
そんな思いが込み上がっては消えていく。
―思い返してみると、水鏡は、いや火影のメンバーの大半が、
彼女と出会ってまだ数か月しか経っていないのた。
―柳以外は……
「もう、決めてしまったのね…?」
陽炎が悲しい瞳でを見た。
「えぇ…これでさよなら、です…」
「っ最初から…今日訪ねて来たときから、そのつもりだったのか…?」
その問いにも、ただ静かに頷いた。
「っ兄ちゃんが、そっちに姉ちゃんの兄ちゃんがいるから、なの…?」
小金井が真っ直ぐにこちらを見てくる。
「…兄も、確かに理由の一つ。だけど…だけど、何より…」
そう言っては静かに彼らを見据えた。
「私は、紅麗様の忍だから。
ごめんなさい…私は、私はあなた達を選べない。」
そして丁寧に深々と頭を下げると、はそれ以上何も言うことなく、背を向けた。
「まっ、待って!ちゃん…!!」
柳の呼び止める声。
それに振り向くこともなく、風に靡く長い髪と華奢な背中がその決別を示していた。
「ど…して、なんで……」
―と、再会できたことが嬉しかった。
けれど、その思いが嘘のように今、消えてしまった。
―自分を、自分たちを選んでくれなかった。
そのことが悲しいんじゃない。
自分の隣りに、もう彼女が戻ってくることはない。
それが、ただ悲しかった。
―何故だろう。
そのとき水鏡は、の去って行く姿が、他の誰よりも目に焼き付いて離れなかった。
伏せられた目。
誰とも合わされることのないソレ。
その事実が、自分たちへの拒絶を示していたはずなのに。
―何かが、引っ掛かった。
不自然なほど淡々とした声。
気のせいかもしれないが、その声はまるで…何かを必死に押さえているように聞こえた。
―わからない。
何故か、彼女を連れさらわれたあの時と同じように、悔しいのだ。
―いつもなら、割り切れること。
誰が敵であろうと、自分の信念を邪魔するものは、容赦なく退けてきたはずだ。
―今から彼女、もその対象となる。
はじめて名前を呼んだあの日が、とても昔のことのように感じた。
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