ACT20:鍵をかけて





 静寂が会場を包んでいた。



それは、圧倒的なまでの恐怖という感情を、観客たちが、

紅麗という一人の存在に対して感じていたからだった。



―この制裁という行為が、行過ぎたものであったとしても……

 は何も疑う事なくただ紅麗に従う。



けれどそれは、決して人の命を軽んじているわけではない。

死という重さをはしっかりと認識していた。


それは、紅や磁生が亡くなったことが最たるものだろうが、

同じく命を奪う側であった魔元紗でさえ、その生を惜しまれた事実。



―命を奪う代償に付きまとう恨み、それを買う覚悟はできていた。



何故なら、彼の、紅麗の歩んで来た道は、情けも容赦も必要などなかったから。

いや、あってはいけなかったのだ。


そう仕向けたのが森光蘭であり、今も変わらず紅麗を縛り続けている。

紅麗と共に歩むことを決めた時点で、自分や彼が手を下した者たちを顧みることはやめた。



―紅麗にとっての森光蘭という存在は鬼門であり、それを彼らは知らない。

 だから魔元紗の罪の重さも、彼らは知ることはない。



―それでもいい。



どんなに恨みを買おうとも、は紅麗と紅の忍。

何があろうとつき従うと決めたのだから。





するとそこに、が忘れることなどできない、彼の人たちの声が耳に届いた。



「火影に魅せられし観客の心を一瞬で凍てつかす…ロビエスピエールの恐怖政治のつもりか。」



―凍季也……。



「彼は民衆に淘汰された。自分が虫のように思っていた人間によってな。」


「紅麗…本当に変わっちまったんだね…」



―薫君……。



そして、いつの間にかリングの上には烈火が立っていた。



―花菱君……。



これで火影のメンバーが全員揃った。

彼らは、決勝戦への切符をとうとう手にしてしまったのだ。


それでも、それは終点ではない。

紅麗を倒すこと、それがあくまでも最終的な到達点だ。



―来てしまった。



にはそうとしか言いようがなかった。



「花菱烈火…!!」



J・キーパーが敵意をむき出しに、前へ進み出ようとした。


しかしそれを紅麗が制し、自らが歩み出た。



―紅麗様……。



リング中央で二人が擦れ違うと、一瞬にして炎が現れた。

紅麗は炎の羽根を、烈火は砕羽を、れぞれ出していた。


すると力の拮抗により、リングは二人を中心に爆発した。



「ぐっ…」



背中を負傷した烈火が片膝をついた。



「烈火…それがお前の炎、八つの火竜の一つ、『砕羽』か?

 初めてこの体で味わっての感想だがね…とんだ期待ハズレだったようだ。」



「…あにィ〜〜!?」



「とりあえずここまで来れた事だけは、評価に値する。

 気分がいい…処刑はここで終わらせよう。」



淡々と言いたいことだけ言い、自己完結した紅麗はあっさり踵を返した。

そこへ烈火が鋭い声で叫んだ。



「紅麗!!―勝つぜ。

 このくだろねぇ大会も、てめェで終いだ!!

 姫は渡さねぇ!!も返してもらう!!覚悟しとけやコラ!!」



その言葉にはゆっくりと、震える口元を抑えるように小さく息を呑んだ。

しかしそれも一瞬の事で…



「…行くぞ『時』」


「はい。紅麗様…」



紅麗の言葉によってすぐにいつも通りに戻った。


不意をつくように放たれた言葉は、一瞬、の奥まで届いたが、

その根底を覆されることは決してない。


































紅麗に伴い会場を立ち去り、しばらくして。

は、そっと口を開いた。



「紅麗様……お怪我の方を…」



服の色によってその傷こそわからないものの、明らかな血臭がの鼻腔を掠めた。



「大事ない。……八竜、か…」



クスクスと紅麗が笑っているのがわかった。



―楽しんで…いらっしゃるのですね。



はどこか切なげに紅麗を見た。



―ならば私は、それに尽力をつくすのみ。

 火影を、敵として迎え撃ちましょう。



それが例え友達を傷付けることであっても。


大切な人たちを失うわけにはいかないのだ。




























―その日の晩



は珍しい人物と肩を並べていた。



―麗十神衆・戒。



お互いマントを纏い、表情はうかがえない。


しかし決して不仲というわけではない。

それにはちゃんと理由があった。


そう…会話もほとんどすることなく、二人はただ一点を見つめていた。



「…水鏡…凍季也……」



隣りには、遠目で誰かまではわからないが、確かに女性が立っていた。



「……っ…」



―…胸が、痛んだ。



今になって、音遠の言葉が重く肩にのし掛かってくるのだ。

敵という立場を選んだの、この思いが実る確率は皆無に近い。



―それでも諦められない自分の往生際の悪さは……



「馬鹿、としか言いようがない…」



隣りに居る戒にも聞こえないほど、小さく呟いた。


その戒と言えば、異様なまでの存在感を放ちながら、水鏡をジーッと見ていた。



「戒さん……」


「戻るか、…」



それまで纏っていた雰囲気が、嘘のようにあっさりと消えた。



「いいんですか?もう…」


「あぁ…今は俺の存在を、奴に気付かせることができれば、それでいい。急く必要はない…」


「そうですか…」



水鏡との因縁、それをは戒から聞いた。

本当は聞く前に夢で見て知っていたのだが、事実を確かめるべく聞く必要があったのだ。


それが、彼のプライバシーを侵害する行為であることを、重々承知の上で……。



―たった一人の姉の死、師・巡狂座との出会い…。



改めてその話を聞いた時、あの遊園地での事件が、の脳裏に何度となく浮かんでは消えた。



―きっと私は、柳ちゃんに嫉妬しているのだろう。



一瞬でも、無条件に彼から守られている彼女が、羨ましいと感じた。



―なんて、愚かで浅ましい。



そんなの心境をまるで見透かすように、戒はをここに連れ出した。



「戒さん…貴方は…」



の言葉を制すように、戒は手をの頭に添えた。



「『時』いや、…お前は囚われず、幸せになればいい。」


「急に…何を?」



は思わず顔を上げた。



「紅麗様もそれを望んでいる。雷覇や音遠は言うまでもなく、な…」



困惑するに、戒は続けた。



「お前にこのような場は似合わない。

 誰も言わないようだが、俺が言おう。決勝戦に出るのはやめろ。」



はまさか、戒からそれを言われるとは思ってもみなかった。



「―っやめないよ?私はもう、決めたんです…!」


「強がりはよせ。意地になるな。火影を前にして、お前は何度動揺した?」



「……っ!?」



仮面の下で、の目が大きく揺らいだ。



「お前は優し過ぎる…自分が冷徹になりきれていないのに、お前自身気付いているだろう?

 確かに、紅麗様のためならば、お前は何でもするだろう。今日の魔元紗がいい例だ。


 だがそれも、火影…いや、あいつに関することを除いての話だ。」



「どう…して…」



段々と俯いていく

それを慰めるように戒の手は頭を撫でた。



「俺はあくまで第三者だ。

 だが同時に、お前と同じくあいつを追いかける者でもある。

 だからこそ、気づいた……」



「そっか……」


「決めるのは、おまえ自身だ。有り難いことにまだ時間がある。しっかり考えろ…」



そっと、手を離すと、戒は何事も無かったように踵を返した。

予め用がある事は聞いていたので、それをが止めることはなかった。








―決勝戦まであと三日。
















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