それは現か幻か
晴れた日の正午。
穏やかな風がふわりと髪を揺らした。
眼前にあるのは、真っ白でいて神聖な雰囲気を帯びた清廉とした建物。
天へ十字架を掲げ、誓いを立てる特別な場所――教会だった。
中への扉を開くと、神前へと導くように紅い絨毯が真っ直ぐに敷かれている。
差し込む光がキラキラと室内を照らし、ステンドグラスを通して
神秘的な雰囲気を作り出していた。
――今日この日、はこのヴァージンロードを歩く。
ただし午前中に練習と称して、父親変わりである兄の雷覇と歩いたばかりであるが。
次に歩くときは本番。
緊張のあまり教会を見渡す暇となどないだろうと、
これからのことを見越して控室を抜け出してきたのだった。
静かな空間にただ一人佇むと、ゆっくり思考を巡らせた。
――今まで、色々あった。
とても閉鎖的であった自分の世界。
そこに差し込んだ優しい光と、温かな思い。
気づかぬうちに大切なものが増えていった――恐いくらい。
死線と血臭の中を幾度もくぐり抜け、掴み取ったもの。
二十そこそこの歳で、ここまで濃い人生を経験してきた者もそういないだろう。
思い出すうちに、なぜだか急に歳を取った気分になり苦く笑った。
ここに辿りつくまでに何が一番大変だったかと聞かれれば、まず間違いなく
「兄の雷覇を説得することが一番大変だった」とは答えるだろう。
数年前に音遠と入籍し、少しは落ち着くかと思いきや。
相変わらず「お嫁に行くのはまだ早いです!」などと言い、大反対された。
「音遠なんてピー(自主規制)歳でお嫁さんになったんですから、
にはまだ行かなくったっていいんです!」
「……雷覇、あんた遠回しにアタシのこと嫁ぎ遅れだって言ってるね?」
その場で夫婦喧嘩と言う名の、音遠の一方的なヤキが入ったわけだが。
その音遠があっさりとの味方についたことと、
最終兵器・の泣き落としによって雷覇は陥落した。
……今にして思うと、とても恥ずかしい話だ。
雷覇はもちろん、泣き落としまでした自身も。
「――早いなぁ……」
あの火影を巡る怒涛の出来事から何年も経った。
高校を卒業し大学へと入り、就職もした。
死ぬことさえ覚悟したあの出来事が、今ではこんなに遠い思い出になってしまうなんて、
考えられなかった。
「――こんなところで何をしてるんだ?」
スラリとした無駄のない細いシルエット。
端正な顔は相変わらずで、元より中性的な印象があったが、
今は髪を短くしてしまったため間違われるようなことはなくなった。
「凍季也……」
振り向いたは穏やかに微笑んだ。
「何をしてるのか気になる?」
「そうだな。君がいなくなると騒ぎ出す人がいるんでね」
「……はぁ」
――私はマリッジブルーになる暇もないのね。
は深く息をつくと水鏡の前までやってきて、その隣りに肩を並べた。
「心配することなんて何もないわ。
教会にくることなんて二度とないだろうし、
今のうちにちゃんと見ておこうと思っただけだもの」
「……そうか」
『二度とない』その意味に気づかない水鏡ではない。
そっと、隣りのへ視線を移すと切なげに目を細めた。
「……プロポーズしておいて今更だが、本当に僕でいいのか?」
「本当に今更ね。もしかして、凍季也ってばマリッジブルー?」
「……」
クスクスと笑うに、肩を落とすと水鏡は深く息をついた。
からかわれている自覚はあるが、どうにも釈然としないのだ。
「真面目な話だ。僕が普通に父や母と過ごしていた時間は、とても短かった」
「私も、両親と過ごした時間は決して長くはなかったよ」
それを不幸だとは思わない。一緒に過ごした時間は本物だから。
懐かしさに泣きたくなるときもある。けれど――
「には雷覇や音遠がいた」
「凍季也にもお姉さんやお祖父さんがいたわ」
一人ではなかった。
いつも側には家族や見守ってくれる人がいた。
今でこそ水鏡は一人になってしまったけれど、間違いなく側には大切な人がいた。
ただ一人の時間が長ければ長いほど、誰かと一緒に歩むことに恐れを感じる。
いつか、幸せを感じた後に来る喪失への恐怖。
それが幸せになることへの恐怖へとすりかわるから。
「……不安、かな?」
もやもやとしたそれをが言葉という形にして問う。
「そうだな……僕は、不安なんだろう」
――そんな可愛げが自分にもあったのか。
そう言わんばかりに困った顔をすると、隠すように手で口許を覆った。
「幸せになる方法がわからない」
「じゃあ逆に聞くけど、凍季也はいいの?
私なんて時代錯誤な忍出身だし、普通なんて突き抜けて規格外もいいところなんだよ?」
自信満々に自分を否定してみせたに、水鏡は怪訝な表情で坦々と答えた。
「それをすべて引っくるめてだ。どこに問題がある?」
は思わず絶句する。
嬉しさと恥ずかしさで憤死しそうな勢いで顔が真っ赤に染まった。
「な、なんて殺し文句よ、凍季也――というか、とっくに分かってるじゃない!
私も凍季也と同じだって、なんでわからないかなぁ!?」
は水鏡の手を引くと、飛びつくようにその首に腕を回した。
「ねえ、これからは私がずっと側にいてもいいでしょう?」
――側にいることを許してほしい。
が隣りを歩きたいと思ったのは、紅麗や雷覇ではなく、
他でもない、水鏡凍季也その人なのだから。
「ありがとう……ありがとう、」
「ううん。私こそ、ありがとう」
抱きしめ返された腕は、その細さからは想像できないほど力強かった。
「――大丈夫」
一人では足りないのなら二人で補っていけばいい。
知らないことに臆病になってはいけない。
知らないのならば、これから知っていけばいいのだから。
「二人で探そう」
――これからの幸せを――
朝日がカーテンの隙間から差し込んでいた。
ぼんやりとする頭で現状を把握すると、枕に顔を突っ伏し撃沈した。
「……なんて夢を見てるのよ、」
恥ずかしさから、顔から火が出てしまいそうだ。
夢オチというありきたりな事ではあるが、夢にしては内容がやけにリアルであったのと、
シチュエーションがあまりにも恥ずかし過ぎた。
しかし時を同じくして――
隣りの部屋では、水鏡が同じように頭を抱えてうなだれていたことなど、
互いに知るよしもない。
それは現か幻か―― わかるのは数年後のこと。
幸せを求めてヒトは迷走する。